江戸切子と薩摩切子  
永仁の壺事件 昭和35に発覚した古陶器の贋作事件

永仁の壺事件


永仁の壺事件(えいにんのつぼじけん)は、1960年(昭和35)に発覚した、古陶器の贋作事件です。
1959年、「永仁二年」(1294年)の銘をもつ瓶子(へいし)が、鎌倉時代の古瀬戸の傑作であるとして国の重要文化財に指定されました。
しかしその直後からその瓶子は贋作ではないかという疑惑がもたれていました。

重要文化財指定に際しては国際的な陶磁研究の第一人者で、文部技官・文化財専門審議会委員であった小山富士夫 (1900 - 1975)の強力な推薦がありました。
実は、「永仁」銘の瓶子は2つ存在していましたが、そのうちの1つが当時行方不明になっていました。そのため、小山は「永仁の壺」の海外流出を懸念し、重要文化財指定を急いだ経緯もあるといわれます。
また、「永仁の壺」を真作とした根拠の1つに、「永仁の壺」と同様の陶片が、この作品が作られたとされる瀬戸の「松留窯」から出土していたことにありました。しかし、実際は「松留窯」の存在自体が加藤唐九郎の捏造であったことが後に判明しました。

文化財保護委員会では「永仁の壺」のエックス線蛍光分析を行った結果、釉薬に含まれる元素の比率が鎌倉時代のものとは異なると結論しました。
また、位相差顕微鏡による調査では「永仁の壺」の表面には、数百年前の作品なら見られるはずの経年変化が認められませんでした。
こうして、「永仁の壺」を含む3件の重要文化財陶器は1961年(昭和36年)4月10日付けで指定を解除され、文部技官・文化財専門審議会委員小山富士夫は、責任を取って辞任しました。
また、加藤唐九郎は織部焼で人間国宝(国の重要無形文化財保持者)に認定されていましたが、その認定も同年解除されることになったのです。

(ウィキペディア参照による)

 

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