江戸切子と薩摩切子  
薩摩切子は、薩摩藩が幕末に生産した切子細工・カットグラスです

薩摩切子


薩摩切子 冷酒杯
薩摩切子 冷酒杯 wikipediaより

 薩摩切子の歴史
薩摩切子は、薩摩藩が幕末から明治初頭にかけて生産した切子細工・カットグラスです。薩摩ビードロとも呼ばれます。明治になって衰退しますが、現在は復刻生産されています。
薩摩切子は、長崎等から伝来した外国のガラス製造書物を元に、江戸の切子細工職人を招くなどして、第10代薩摩藩主島津斉興によって始められ、11代藩主島津斉彬が集成館事業の一環としました。
大変に先進的な品で斉彬も愛し、大名への贈り物に用いられたり篤姫の嫁入りの品ともなりましたが、斉彬の死後、集成館事業の縮小や薩英戦争時にイギリス艦艇による集成館砲撃で被害を受けるなどして、その技術は明治初頭で途絶えました。
しかしその職人や技術は、東京の江戸切子や大阪へ渡っています。
当時の薩摩切子は、現存するものは大変に少なく貴重で、骨董として高価で取引されているようです。

 薩摩切子の江戸切子との違い
当時の江戸切子との違いは、江戸切子が透明・無色な硝子に細工を施したものなのに対し、薩摩切子はより細かい細工や、色被せと呼ばれる表面に着色層をつけた生地を用いたものが多く、またホイールを用いた加工の有無が挙げられます。薩摩切子はヨーロッパの技法に範を取り、色被せの技法はボヘミアや乾隆から学んだもののようです。
現在に伝わる当時の品には、日本的な繊細さが見られます。 近年の研究によって、無色の薩摩切子という区分が整理され、新たな品も発見されています。 色被せの薩摩切子の特徴として、特にその色の層の厚さがあり、これに大胆な切子を施す事によって切子面に色のグラデーションが生まれます。これが色被せ薩摩の特徴で「ぼかし」と呼ばれるものです。

 復刻と現在
1985年(昭和60年)代以後、薩摩切子の復刻が試みられ、各地のグラス工場・職人・研究家等の協力もあって成功しました。1989年(平成元年)島津家の島津興業 監修・直営の薩摩工芸として、鹿児島県伝統的工芸品認定がなされました。しかし、技術が継続しておらず復刻生産である為、国の伝統的工芸品には認定されていません。
現在は、現存する古い薩摩切子を忠実に再現した復元・復刻物や、その特徴を踏まえた新たなデザインや色の製品、あるいは創作品も生産・販売されています。 後進の育成や展示会・デザインコンペ等への出品も行われており、また助成金による支援(薩摩ビードロ工芸)や、NHK大河ドラマ「篤姫」のオープニングにも用いられるなど、その認知を広めています。
主な生産地は鹿児島県です。 素材の生産や切子細工の加工等、製作・復刻が、前述の薩摩工芸のほか、薩摩ビードロ工芸等で行われています。 切子の細工は、着色層がグラインダーを見難くするため、高度な技能を要します。一部は江戸切子職人に外注されることもあります。

(ウィキペディア参照による)

 

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