江戸切子と薩摩切子  
三輪壽雪は日本の代表的陶芸家で、人間国宝に認定されています。

三輪壽雪


三輪壽雪(みわじゅせつ)は日本の陶芸家です。第十一代三輪休雪になります。1983年に人間国宝に認定されました。本名は節夫。
山口県萩市出身で、代々萩焼を家業とし、旧萩藩御用窯であった三輪窯の九代休雪・三輪雪堂の三男として誕生しました。
1927年旧制萩中学校卒業後、兄である十代休雪(隠居後は休和)を助けながら伝統技法を学びました。1941年に三重県津市に工房を構えていた川喜田泥子に師事し、茶陶の制作技法を身につけました。独立までの約30年間ひたすら修練に打ち込み、召集令が出された1944年以外は作陶の手を休める事はありませんでした。
1955年に雅号を「休」と称し作家活動を開始。1957年日本伝統工芸展に初出品した「組皿」が入選し、1960年には日本工芸会正会員になるなど、十代休雪と並び高い評価を受けました。
萩焼の伝統を受け継ぎながらも独特な感覚による作陶を為し、因習的な茶陶の作風に新たな展開を示しました。
長石を原料とした釉薬を用いる伝統的な萩焼に加え、休雪が大成した純白の藁灰釉による「休雪白」の作品を発表していますが、特に後者は豪快かつ大胆な意匠と融合し大きな特色となっています。
1967年、兄の休雪の隠居後、三輪窯を受け継ぎ十一代休雪を襲名。
1976年紫綬褒章、1982年には勲四等瑞宝章を受章、1983年4月13日に重要無形文化財「萩焼」保持者に認定されました。兄弟での人間国宝認定は陶芸界で前例の無い快挙でした。
その後も作陶への探究を続け、粗めの小石を混ぜた土を原料とした古くからの技法である「鬼萩」を自らの技法へと昇華させました。
2003年に長男龍作へ休雪を譲り、自らは壽雪と号を改めました。土練機を用いず土踏みでの粘土作りを続けるなど、全ての作陶過程を自らの手で行う事にこだわりを持ち、2007年現在も活動を続けています。
(ウィキペディア参照による)

 

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